播磨 天神山城(加古川市)はりま てんじんやまじょう

城郭放浪記


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播磨 天神山城(加古川市)の写真
掲載写真数
形態
山城(129m/100m)
別 名
赤羽城,志方天神山城
文化財指定
なし/不明
遺 構
土塁,郭,堀
城 主
赤松氏,櫛橋氏
歴 史

築城年代は定かではないが永徳年間(1381年〜1384年)に赤松氏範(氏則)によって築かれたと云われる。

赤松氏範は赤松円心入道則村の四男で、他の三兄弟が北朝方となるなか、南朝方に属した。 至徳3年・元中3年(1386年)摂津国中島郡にて挙兵したが敗れて敗走し、播磨国加東郡の清水寺にて自刃した。

その後、天神山浄は櫛橋氏の居城となり代々続いたが、永禄年間(1558年〜1570年)の櫛橋秀則のとき、水不足から居城を船原城へと移したと云われる。

説 明

天神山城は志方八幡宮の北西に聳える標高129mの山頂に築かれており、多くの地図では天神山古墳群の表記のある山である。

天神山城は南東の山頂に主郭を置き、北西方向に曲輪を連ねている。 主郭は広く削平され、西側には意味不明な列石が残る。北東下は堀切に土橋が架かり、その先に一段の曲輪がある。北西下は半円形の曲輪で周囲に土塁が巡り、北が開口して北西下の堀切に架かる土橋へと続く。土橋はいずれも垂直ではなく斜めに架かるのが特徴である。

堀切を挟んで北西に続く曲輪は堀切に面して石と土塁でやや高く、曲輪は北西方向へと伸びる。途中石棺が向きだしとなった古墳がいくつか点在し、北西の尾根先までダラダラと平地が続いており、先端は堀切もなく自然傾斜で降っており、城域ははっきりとしない。

主郭の北下は外側に幅広の土塁、内側は堀状の溝になり横堀状になった地形がある。 主郭の南西側は不明瞭ながら、つづら折りの登り道の両脇に段が連なっているように見える。

案 内

南麓の西飯坂集落の中腹に天満宮があり、境内の西側についた石段を登ると「城主赤松氏範公塔」と刻まれた墓があり、そこから踏み跡程度の山道が付いている。

最寄り駅(直線距離)
4.9km 宝殿駅
5.7km 田原駅
6.0km 法華口駅
6.1km 網引駅
6.1km 日岡駅
所在地/地図
兵庫県加古川市志方町西飯坂
付近の城(直線距離)
1.1km 播磨 志方城
1.4km 播磨 助永構居
1.4km 播磨 細工所陣屋
2.7km 播磨 中道子山城
3.6km 播磨 神吉城
4.7km 播磨 神木構居
4.9km 播磨 砂部構居
5.2km 播磨 平津構居
5.2km 播磨 土器山城
5.7km 播磨 善防山城
5.7km 播磨 中津城
5.9km 播磨 田原城
6.2km 播磨 魚崎構居
6.5km 播磨 加古川城
6.6km 播磨 石守構居
6.9km 播磨 西条城
6.9km 播磨 別所構居(姫路市)
7.0km 播磨 石弾城
7.4km 播磨 小松原城
7.4km 播磨 来住城
7.4km 播磨 牛居構居
7.5km 播磨 井ノ口城
7.7km 播磨 佐土構居
7.7km 播磨 岡城
最終訪問日
2012年2月
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