築城年代は定かではない。戦国時代末期に皆川城の支城で膝附宗長が城主であったと伝えられるが、慶長14年(1609年)皆川氏の改易とともに廃城となった。
この吹上城のところに江戸時代末期の天保13年(1842年)有馬氏郁によって陣屋が構えられた。
この有馬氏の祖は筑後国久留米藩主有馬豊氏の三男頼次から始まる。駿河大納言徳川忠長、紀州藩徳川氏などに仕えて続いていたが、徳川吉宗の徳川宗家継承にともない有馬氏倫が紀州藩士から旗本になった。
享保11年(1726年)七千七百石を加増されて一万石となり諸侯に列して伊勢西条藩となった。天明元年(1781年)有馬氏恕のとき藩庁を伊勢国西条から上総国五井へ移しており、これにより定府大名から半年ごとに参勤交代する大名となった。
天保11年(1840年)有馬氏郁のとき上総国市原郡内の所領を伊勢、下野に移されたことから天保13年(1842年)に藩庁を吹上に移転、以後明治まで続いた。
吹上城は吹上中学校のある丘陵に築かれていた。
中学校入口のあたりに案内板が設置されている。これに掲載されている図によれれば、以遺構はほとんど消滅しており、東の端の方に土塁と堀がわずかに残るだけのようである。