築城年代および築城者は定かではないが、一説に嘉吉元年(1441年)富田成忠によって築かれたとも云われる。
富田氏は皆川氏の一族で富田城を代々居城としたが、弘治3年(1557年)富田信吉の時、皆川俊宗に攻められ落城、以後皆川氏の属城となった。 これは、富田信吉の父秀利が佐野氏と結んだ為ともいわれる。
慶長18年(1613年)下総国岩富より北条氏重が一万石で富田に移り、富田城跡に陣屋を構えた。元和5年(1619年)氏重は遠江国久野へ転封となり廃城となった。
城は大平西小学校周辺で、小学校の所に案内板がある。 そこからすぐ西に見える土盛が土塁跡だという。