築城年代は定かではないが応仁年間(1467年〜1469年)に川連仲利によって築かれたと云われる。 川連氏は出羽国雄勝郡川連発祥で小野寺氏の一族という。
永禄6年(1563年)皆川俊宗によって占領され皆川城の支城となったという。 天正6年(1578年)城主川連仲重の時には、佐野氏の家臣粟野城の平野久国と戦って敗れ、一時平野氏の居城となったが、再び皆川氏の手に戻ったという。
川連天満宮の横に石碑と案内板が建っている。 城は現在の川連天満宮の東方にあったというが、現在は開墾され住宅地などとなっており、どの程度遺構が残っているのかわからない。
日本城郭体系のよれば、土塁が城域の北端と南端に残り、南端は川連天満宮境内にあると記載されているが、川連天満宮は道路のバイパス工事によって移転している。