下野 鷲城しもつけ わしじょう
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築城年代は定かではない。小山氏の居城で小山義政は祇園城、長福城、中久喜城などの支城を配して鎌倉公方足利氏満と戦った。詳細は祇園城を参照。
城は思川の河岸段丘に築かれており、北から西へまわって思川が流れる。鷲神社や畑となっている所が中城と呼ばれ、土塁が残る。中城から西の小山総合公園へ降りて行くと西側に虎口が開き、中城と外城(西城)を区切る空堀が西から南へ回り込むようにして残されている。
鷲神社が目印。国道50号線と国道4号線が交わる神鳥交差点を南へ行き直ぐの交差点を西へ進み突き当たりの右側に鷲神社の参道入口がある。ここに案内板と石碑が設置されている。