下野 皆川城しもつけ みながわじょう

城郭放浪記


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下野 皆川城の写真
掲載写真数
形態
平山城(148m/80m)
別 名
なし
文化財指定
市指定史跡
遺 構
土塁,曲輪,堀切,竪堀,虎口
城 主
皆川氏
歴 史

築城年代は定かではない。寛喜年間(1229年〜1232年)に皆川宗員によって築かれたと云われるが、これは近くにある白山台であったとも考えられている。この先の皆川氏は元享3年(1323年)には断絶している。 永享12年(1440年)には長沼秀宗が皆川城を本拠にしてしたことから、この頃には築かれていたようである。

皆川広照は宇都宮氏に従っていたが、北条氏政・氏直父子が大軍を率いて北上してくるとそれに降った。天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原征伐で、皆川広照は小田原城に籠城したが、徳川家康を介して秀吉に降り助命された。

天正19年(1591年)皆川広照は栃木城を築いて居城としたが、家康の六男松平忠輝の家老となり、忠輝が信濃国川中島へ移るに従い信濃国飯山へ転封となっている。

説 明

皆川城は標高147mの城山に築かれている。現在は皆川城址公園として整備されている。

皆川城は別名を「法螺貝城」と呼ばれている通り、城山は山腹に多段に腰曲輪や帯曲輪が配され螺旋になっている。南西側には大きな竪堀が一条麓まで伸びている。

主郭は山頂にあり、西下にやや広い「お花畑」、さらに西に大きな「西ノ丸」がある。 北側の山腹には東西両側から土塁と掘が伸びた空間があり、それが交わる所が虎口になっている。

現在皆川地区公民館(旧中学校)となっている部分が居館であったと伝えられ、西側に大きな土塁が残り、外側に空堀が付いている。

案 内

県道75号線を西進して東北道の高架下を潜る。そのさきに皆川郵便局があるが、その手前に二俣に分かれる道があり、城内町側に入る。250m程進むと北に大きな公民館があり、ここが登り口。

最寄り駅(直線距離)
5.2km 栃木駅
5.3km 合戦場駅
5.4km 新栃木駅
6.0km 大平下駅
6.4km 野州平川駅
所在地/地図
栃木県栃木市皆川城内町字城山(皆川城址公園)
付近の城(直線距離)
2.9km 下野 吹上城
3.6km 下野 大平山城
3.9km 下野 尻内城
4.2km 下野 木村氏館
4.7km 下野 畠山陣屋
4.9km 下野 梅沢城
5.0km 下野 川連城
5.1km 下野 山田城(大平町)
5.3km 下野 栃木陣屋
5.8km 下野 布袋岡城
6.0km 下野 栃木城
6.2km 下野 富田城
6.3km 下野 平川城
6.6km 下野 藤沢城
6.9km 下野 大宮城(栃木市)
6.9km 下野 富張城
6.9km 下野 小野寺城
7.1km 下野 不摩城
7.8km 下野 細井城
8.2km 下野 豊代館
8.3km 下野 阿土山城
8.7km 下野 大網山城
8.7km 下野 真名子城
8.8km 下野 唐沢山城
最終訪問日
2021年12月
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