築城年代は定かではないが、明応年間(1492年〜1501年)久野宗隆によって築かれたと云われる。
宗隆の子元宗は元禄3年(1560年)今川義元に従って桶狭間合戦に従軍して討死し、宗能が継いだ。その後徳川氏に属して、天正12年(1590年)徳川家康が関東へ転封となると下総国佐倉に一万三千石で転封となる。
その後、松下之綱が遠江国頭蛇寺城より一万六千石で入封したが、慶長8年子重綱の時に、幕府に無断で石垣を築いた罪によって常陸国小張に転封となる。
替わって久野宗能が万石未満の旗本として旧領へ戻ったが、元和5年(1619年)宗成の時、徳川頼宣の重臣となって和歌山へ移った。
替わって元和5年(1619年)下野国富田より北条氏重が一万石で入封したが、寛永17年(1640年)下総国関宿へ転封となり、廃藩となった。