築城年代は定かではないが文亀年間(1501年〜1504年)に壬生綱重によって築かれたと云われる。 綱重は壬生城を守る支城として板橋、藤井、羽生田に城を築いて家臣を置いたという。
天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原征伐の時、壬生氏最後の当主は壬生義雄で、藤倉勘斉が羽生田城主であったと云う。壬生氏が滅亡すると廃城となったといわれる。
羽生田小学校が本丸跡で、西側のプールのある辺りが二の丸、その西と北側が三の丸という。
南側は高低差があり崖端に築かれている。 日本城郭体系に掲載されている縄張図によれば、羽生田小学校から北側の観喜院の間にも堀があったようであるが、現在は整地されている。
現在残る遺構としては、三の丸に空堀と土塁が残り、土塁の上に明神宮が奉られている。