築城年代は定かではない。城主は粟野城主平野大膳で、皆川氏に属していたが、天正13年(1585年)と天正16年(1588年)に宇都宮氏に攻められたという。
諏訪山城は無量寿院の北背後の山に築かれている。
主郭は標高約220mの山頂部にあり、西、東、南下に堀切を設けている。主郭の東下は南北に長い曲輪があり、南端から南側に向かってつづら折れの通路があり、南山腹の曲輪に至る。
南山腹の曲輪は南下に横堀を設け、折れを伴い張出しや坂虎口、木橋をかけたと思われる虎口など技巧的な縄張りになっている。さらに南に伸びた尾根は堀切があり、そこから伸びる竪堀は水道施設のあたりまで伸びて谷下へと続いている。
無量寿院の脇から水道施設へ登って行く道があり、その先が城域。無量寿院下の路肩に駐車可能。
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