慶長15年(1610年)阿部正次によって築かれたと云われる。
阿部正次は徳川家康に仕えた阿部正勝の嫡男で、慶長5年(1600年)に家督を相続して武蔵国鳩谷五千石を継承した。家督を継いだ後、関ヶ原合戦などの功により五千石を加増され諸侯に列した。慶長15年(1610年)下野国都賀郡鹿沼にて五千石を加増され、このとき陣屋を構えた。
正保4年(1647年)朽木稙綱が二万五千石を領して鹿沼藩となり、鹿沼陣屋を居城とした。慶安2年(1649年)稙綱は常陸国土浦へ加増転封となる。
替わって下総国小見川より内田正信が一万五千石で入封した。内田氏は正信、正衆、正偏と続いたが、正偏のとき三千石を減封され、下総国小見川一万石へ転封となり鹿沼藩は廃藩となった。
鹿沼陣屋は現在の中央小学校の辺りに築かれていたと云われる。かつて発掘調査によって堀跡が検出されたようであるが、遺物が15世紀から16世紀のものであったため陣屋とは関係ないようである。