築城年代は定かではないが天文年間(1532年~1555年)に日光山桜本坊法印昌安によって築かれたと云われる。
もともとは日光山桜本坊が築いた山城であったが、宇都宮・佐竹連合軍に奪われていた。天正13年(1585年)ころから北条方の壬生氏や日光山と宇都宮・佐竹軍らが八方山一帯で戦闘を繰り広げており、天正15年(1587年)日光山の軍勢が小倉城を攻め落城。このとき宇都宮の家臣今泉氏、戸祭氏らが討死した。
小倉城は文挟駅の西に聳える標高390.8mの山に築かれており、現在は登山道が整備されている。
主郭となる山頂部は手狭で南は二郭に向けて自然傾斜、北は切岸となっている。南の曲輪は広く削平され一部土塁を備える。南西下から東側面にかけて横堀となり、中央部が土橋となる。横堀の外側には竪堀が確認できる。
一方主郭の北下も広く削平され、その外側に横堀を設けているが、横堀の高さはほぼ曲輪面と同等で、その先が自然傾斜となっている。さらに八方館に続く北西尾根に堀切がある。
登山道入口は南東下の道路沿いにあり看板がたっている。登山道入口に駐車可能。
尾根続きで行ける八方館も一緒にどうぞ。
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