築城年代は定かではないが永正年間(1504年〜1521年)に宇都宮一族の日光山遊城坊綱清によって築かれたと云われる。
天文年間(1532年〜1555年)に宇都宮氏と敵対していた壬生綱房は小田原北条氏に支援を求め、これに応じて派遣された板橋将監親棟が板橋城を攻め落とし、そのまま壬生氏の配下となて板橋城主となった。
板橋城は標高443.5mの城山に築かれており、現在は登山道が整備されている。
主郭は山頂にあり、堀切を挟んで東西二郭でしっかりとした切岸となっている。西の主郭側には石積があるようだが、見つけられなかった。主郭から南西に下ると緩斜面尾根となるが、その先端が堀切で鋭角の竪堀が落ちている。主郭の東下は「コマノリバンバ(駒乗り馬場)」と呼ばれているが緩斜面地形である。
登山道は北麓にあり、入口に道標が出ている。駐車場は上板橋集落センターが利用でき、この部分は後の板橋城の居館で後に板橋陣屋となった所という。
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