築城年代は定かではないが鹿沼氏によって築かれたと云われる。
天正4年(1576年)鹿沼城主壬生綱雄は壬生周長に謀られて謀殺されたが、綱雄の嫡男義雄によって周長は討たれた。このとき猪倉城主鹿沼右衛門は周長に味方していたため、板橋城主の板橋将監親棟によって攻められ猪倉城は落城した。
猪倉城は猪倉小学校の南西に聳える標高420m程の観音寺山に築かれており、現在は市指定史跡として登山道が整備されている。
猪倉城は泉福寺の南西背後の山にあり、現在も寺から遊歩道が整備されている。大手はハッキリしないが、このお寺からの道が比較的当時からの大手に沿っているのではないだろうか。虎口や横堀、導線などなかなか凝った比較的技巧的な山城である。
主郭は山頂にあり一段小高くなった曲輪の周囲をさらに広い曲輪が取り巻く。北側に桝形状の虎口空間があり、現在の登山道はここに通じる。面白いのは、北東側にある二郭はこの虎口から一度外へ出て入る構造で、二郭の北にある出丸部分は桝形から西下の犬走を経て行き来する構造になっている。
また、主郭の南西にも堀切の先に出丸があるが、この出丸の虎口は北側を土橋状に回り込む部分を伝って入っていたと思われる。南西出丸は北西側に二条の堀切、南に竪堀と堀切、北東の主郭側にも堀切と独立性が高い。
主郭から東へ伸びた尾根の東端にある曲輪の側面には横堀があり、北側は竪堀として遮断する。この横堀と竪堀の間の土塁を虎口とする。
泉福寺から遊歩道が整備されている。お寺の駐車場に駐めさせて頂いた。
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