築城年代は定かではない。西方城の支城として築かれた。あるいは先に二条城が築城されて後に西方城が築かれたなど諸説ある。
慶長5年(1600年)関ヶ原合戦の後、藤田重吉(信吉)が徳川家康から一万五千石の所領を与えられ西方に陣屋を構えた。これが二条城の場所であると伝えられる。重吉は元和2年(1616年)大坂の陣の後に改易となっている。改易の理由は諸説あるが、榊原康勝の軍監を務めていたときの落ち度によるものだと云われる。
二条城は西方城の登山口である長徳寺の南側の尾根上に築かれている。
以前訪れたさいは主郭は笹薮に埋もれていたが、近年発掘調査などが実施され、主郭は見事にきれいになっていた。
主郭は北面を除いて土塁が巡り、石積もところどころ見受けられる。主郭の東下は横堀状になった曲輪で北は虎口状に開口する。主郭の周囲には曲輪が拡がり、西尾根は堀切で遮断している。
開山不動尊から登るルートが一般的であるが、いまは西方城の登山口でもある長徳寺のところから仮設の道がついている。
二条城の縄張図は西方城の登り口である長徳寺の案内板に記されている。
最寄り駅(直線距離)