築城年代は定かではないが建武年間(1334年〜1338年)に児山朝定によって築かれたと云われる。 多功朝定は宇都宮頼綱の四男で多功城主の多功宗朝の二男(または三男)で、児山郷を領して児山城を築き児山氏の祖となった。
永禄元年(1558年)上杉謙信が多功城を攻めた際、児山兼朝が上杉方の佐野豊綱と戦って討死し、児山城は廃城となった。
児山城は児山氏の菩提寺である華蔵寺の北西側一帯に築かれている。 現在は県指定史跡として本丸一帯が整備されている。
本丸は南北に長い方形で周囲に高土塁と空堀が巡らされている。この本丸は遺構の状態が良いが、その周囲は断片的に遺構が残るのみである。東側は外側にさらに空堀があり、南にも空堀が確認できる。
華蔵寺の西側に児山城散策ように駐車場が整備されている。
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