建長元年(1249年)横田頼業によって築かれたと云われる。 横田頼業は宇都宮頼綱の二男で、嘉禎3年(1237年)に横田城を築いて横田氏を称した人物で、宇都宮氏が南へ勢力を伸ばした過程で上三川城を築き、南方の押さえとなった。
横田氏は頼業から七代横田師綱まで続き、その後は今泉元朝が城主となって今泉高光まで続いた。今泉高光は、慶長2年(1597年)宇都宮国綱に嫡子がなかったことから、秀吉の家臣浅野長政の子長重を養子に迎えようとしたことから、反対派の芳賀高武によって上三川城を攻められ、高光は菩提寺である長泉寺で自刃して果てたという。
上三川城は上三川町役場の南東にあり、現在は上三川城址公園として整備されている。上三川城址公園となっているのは本丸部分で、かつては北の白鷺神社付近まで城域であったという。
南北に長い方形の本丸はその周囲を高土塁と濠が巡っている。入口は現在北を除く三方にあり、南は土橋になっている。この南虎口付近は巨大な石垣になっているが、この辺りは公園化による影響であろう。
北にある善応寺は横田氏の菩提寺、さらに北にある長泉寺が今泉氏の菩提寺である。
公園の南側に駐車場がある。
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