下野 長沼城しもつけ ながぬまじょう
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元暦元年(1184年)長沼宗政によって築かれたと云われる。 宗政は小山政光の三男(次男とも)である。
長沼氏は文明13年(1481年)長沼成宗のとき、堀越公方と古河公方の争いで古河公方に味方したが敗れ、長沼城は廃城となった。
長沼城は宗光寺の北側一帯に築かれていた。
境内の北から西にかけて空堀が残り、一部には土塁も残っている。
宗光寺に駐車可能。