築城年代は定かではないが小栗氏によって築かれたのが始まりとされる。 小栗氏は常陸大掾氏の分流で、大掾重幹の子重義が小栗五郎を名乗ったのが始まりと云われる。
応永30年(1423年)小栗満重、助重父子が籠もる小栗城は足利持氏の攻撃を受けて落城し、父子は三河へ逃れた。
永享年間(1429年〜1441年)の結城合戦では足利持氏方の小栗城を小栗助重が奪い返しているが、康正元年(1455年)には上杉持朝が助重を頼ってきたことから再び戦場となって落城、以後は宇都宮氏の勢力下となった。
小栗城は茨城県と栃木県の県境付近にあり、小貝川に面した比高50m程の山に築かれている。
小栗城は山頂の主郭を中心として東と南に大規模に曲輪を展開している。主郭下は外側に土塁がついた帯曲輪、横堀が多段に設けられており、山腹には土橋から入る虎口、さらに下方に方形の土塁が付いた虎口空間など、大手と推測される導線が比較的わかりやすく続いている。麓にも東側には巨大な空堀があり、現在はこの堀底から主郭に通じる道が整備されている。
入口は内外大神宮の参道入口からで、公民館に駐車可能である。 そこから道標に従って公園のほうに進んで行けば入口がある。
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