築城年代は定かではない。寛正3年(1463年)壬生胤業が壬生城とともにその支城として築いたとも伝えられるが、これとは別に小山氏が支城として築いたとも云われる。
記録には残っていないが永禄元年(1558年)五月初めに落城したと云われ、この地域では五月の節句に鯉のぼりをあげない風習が残っているという。
箕輪城は姿川に面して南北に伸びた台地の東端に築かれている。
磐裂根裂神社が片隅に鎮座してる曲輪が良く残っており、東を除く三方に土塁が巡り、北と南は外側に空堀が残っている。北は宅地、南は畑地になっているが、こちら側にも曲輪が連なっていたと思われる。
姿川の橋を渡った所に道標が出ており、その先に神社への参道が付いている。
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