築城年代は定かではない。城主は白石三河守が伝えられる。 『伊達家世臣家譜』に「白石三河宗頼が国分能登守某の弟を世嗣とし、これが三河宗明である。」とする。
国分氏が滅亡後は伊達氏の家臣となり、名字を白石から白津と改めた。
豊臣秀吉の奥州仕置きの後、伊達政宗が岩出山に転封となると、伊達政宗の祖母久保姫(栽松院、伊達晴宗の正室)が杉目城から白石城へ移り、文禄3年(1594年)に没するまでこの地で過ごした。
白石城は七北田川と山田川に沿って南へ伸びた段丘の端に築かれている。現在は白石公園となり、宇佐八幡宮、三十三観音、栽松院の墓碑、白石三河宗の墓、黒川十一世季氏の墓などがある。
現状明瞭に残る遺構は本丸のみであるが、本丸は広く東西約100m、南北約80m程の規模を有す。この本丸の北から西にかけて高土塁があり、その背後は大空堀によって台地から切り離している。
宇佐八幡神社の駐車場がある。
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