陸奥 朴沢新城むつ ほおざわしんじょう
△トップに戻る
築城年代は定かではない。城主は朴沢氏で文治5年(1189年)奥州合戦後に宮城郡内の山村の地頭職を得た大河戸氏の末裔がこの地に入部し、南北朝時代に朴沢氏と称したという。
朴沢氏は国分氏に属し、その後伊達氏の家臣となった。慶長5年(1600年)には朴沢蔵人が城主であった。
朴沢新城は興禅院とその北にある民家一帯に築かれていた。興禅院は朴沢氏の菩提寺で朴沢加賀の木像が残されており、境内には墓所もある。遺構が残るのは北の民家の辺りで、北から西にかけてl字となった土塁があり、西は堀跡もある。