万治3年(1660年)頃に宮床伊達氏によって築かれた。
宮床伊達氏は仙台藩主伊達忠宗の八男宗房が田手肥前守高実の娘婿となって田手氏の名跡を継ぎ、後に伊達姓を賜り宮床伊達氏となったことに始まる。
この宮床伊達氏の居所として築かれたのが田手岡館で、仙台藩が行った要害制では「所(ところ)」に位置づけられ、家格は御一門で八千石余りを領していた。
田手岡館は宮床小学校の西にある南北に長い低丘陵に築かれており、現在は公園として整備されている。
内部は広く高低差の少ないこともあってよくわからない部分も多いが、比較的遺構はよく残っている。案内板が設置されている部分が本丸で、堀を挟んで南に二之丸、北に小規模な北曲輪、中曲輪を経て三の曲輪が配置され、大手であった北麓に丸馬出を備えていた。
現在本丸には庭園跡や土塁が確認でき、二之丸との間の空堀も確認できる。石垣は三の丸から中曲輪に至る枡形のところに残っているようだが、確認できなかった。麓の丸馬出は残存していないが、北から西にかけて水堀が残されている。
北側の入口に標柱があり、そこから御殿山に入ることができる。色口付近に駐車可能。
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