陸奥 福沢城むつ ふくざわじょう
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詳細不明。城主は古内重広と伝えられる。古内氏の祖とされる古内近江の城は向かいの小岳館である。
古内重広は国分盛実の子で古内氏の養子となった人である。国分氏が伊達政宗に滅ぼされた後、慶長13年(1608年)に政宗に召しだされて嫡男忠宗の側近として付けられた。その忠宗が二代藩主となると重臣として取り立てられ約一万五千石を領した。
福沢城は七北田川と西田中川が合流する地点、東へ伸びた段丘端に築かれていた。 現状では宅地が拡がっており、土塁が残されているようだが、宅地の裏側で確認できなかった。