築城年代は定かではない。慶長年間(1596年〜1615年)頃は山岸修理之助の屋敷であった。
元和年間(1615年〜1624年)に茂庭了庵(鬼庭綱元)が伊達政宗より屋敷を賜りこの地に住んだが、寛永13年(1636年)に政宗が没すると了庵は政宗の娘五郎八姫(西館様)に屋敷を譲り栗原郡文字村へ隠棲した。この屋敷を西館と呼ぶのは五郎八姫に由来する。
西館は蕃山から北へ伸びた山麓に築かれている。
北の国道48号線より一段小高くなった所に築かれており、西から南に掛けて土塁と空堀が残っている。南側には一段小高く櫓台状になった地形があり周囲には石積がされ、現在そこには社が祀られている。
国道48号線愛子バイパスにあるガソリンスタンドの先から側道に入る。そこから山側へ登った所に案内板が設置されている。
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