詳細不明。『宮城郡誌』では「葛西清重十一代の孫左京太夫の弟大崎隼人清宗の居館。清宗の後ち鴇田に改む。その子若狭守天正年間来りて此の地に拠る」とする。また『泉市誌』では『平姓国分氏系図』から国分氏一族の福岡氏が城主ではないかとしているが、いずれも確証はない。
福岡館は福岡浄水場の裏にある標高167.1mの山に築かれている。
主郭は三角点のある山頂にあり、そこから南、北西、東に伸びた尾根に遺構が拡がっている。主郭の南下には堀切があり、さらに南に続くと小さな南曲輪群があり西下に堀切が一条ある。主郭の北側は切岸とならず緩やかにスロープとして降るが、林道との境の辺りに両側に土塁が残る虎口のような地形がある。さらに北に進むと堀切がある。
福岡浄水場への道を歩いて登り、浄水場へ入らず塀の外側を回れば林道がある。
最寄り駅(直線距離)