詳細不明。館主は永禄年間(1558年〜1570年)以降に国分氏の家臣大倉蔵人と伝えられる。
大倉氏はその後伊達氏の家臣となっている。天正19年(1591年)大倉重忠は葛西大崎一揆で伊達氏に従って佐沼城での戦いで討死した。その子孫は関氏を名乗って伊達家臣となり大倉村に住んだという。
下大倉館は大倉川に面して南へ伸びた台地に築かれていた。現状は畑となっており、朽ちた標柱が横たわっている。遺構ははっきりしないが、『仙台市史-特別編7-城館』で現存する土塁として図示されている部分は開墾されている畑の境界線部分にある畦道のような部分のようである。また、発掘調査では外側に幅約8m、深さや2mの空堀が見つかっている。