築城年代は定かではないが秋保氏によって築かれたと云われる。
長楯城は戦国時代の秋保盛房の頃の本城であったが、慶長8年(1603年)秋保定盛のときに刈田郡小村崎村に所替えとなった。
天明年間(1781年〜1789年)に秋保氏盛は長袋村を「所」として拝領し、秋保氏は再び長楯城に居住することとなり、周囲に家臣の屋敷などが構えられ、以降明治まで続いた。
長楯城は名取川とその支流が合流する地点の細長く伸びた台地の上に築かれている。 南東に向かって細長く伸びた台地が城跡で、現在は宅地などとなっているが土塁や堀などを見ることができる。
本丸は南東端で広く畑となっており、この部分に標柱などがある。ここから国道457号線の部分までが城域で、民家の脇にいくつか土塁跡を見ることができる。
城内にある公民館に駐車可能。
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