築城年代は定かではないが永禄年間(1558年〜1570年)頃に秋保(馬場)摂津守定重によって築かれたと云われる。
秋保定重は秋保氏の庶流で馬場氏とも称し上館を居城としていたが、定重のときに豊後館を築いて居城を移したという。秋保定重は秋保氏の庶流であるが、天正年間(1573年〜1592年)には伊達政宗の直臣となっていた。天正19年(1591年)には最上氏に内通した小野城主の長江月鑑斎を誅殺している。
慶長8年(1603年)秋保氏は刈田郡円田村に所替えとなった。
豊後館は名取川と小滝沢が合流する地点の段丘端に築かれている。
西を除く三方は川によって囲まれた要害地形で、西側に高土塁と空堀を設けて台地を遮断している。虎口は空堀の南端部分にあり、空堀から石塁で築かれた虎口を経て曲輪の主郭部の南下の帯曲輪に入る構造になっている。
県道沿いに案内板が設置されている。ここから歩いて南の道を入れば畑の脇の道が城内に通じている。
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