築城年代は定かではない。明応9年(1500年)大曲城主の永井掃部晴信が攻め寄せて湯元小屋館に陣を構えたため、不意を突かれた秋保平次太郎盛房は最上を頼って山形へ逃れた。これにより永井氏が楯山に城を築いたが、永正8年(1511年)秋保盛房が楯山を攻め落とし旧領を奪還したという。
楯山城は標高334.2mの山に築かれており、現在は登山道が整備されている。
南北に長い山頂部を城域とした城で、大きく南北二段となり、北を本丸、南を二の丸と呼んでいるようであるが、単郭の城である。
北の本丸とされる部分は石祠が祀られた小高い削平地があり、東下に帯曲輪、西側は南から北へ回り込む通路になっている。南の二の丸とされる部分は削平状態が良く、西端は南北に土塁が続き、南は櫓台として一段小高く残してあり、現在の登山道はその脇へと登ってくるルートでこの部分が虎口となっている。
「海馬」というお店への道標が出ており、それを頼りに行けば良い。このお店の入口に楯山城への登山口があり、駐車場も完備されている。
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