築城年代は定かではないが慶長13年(1608年)頃に砂金右兵衛実常によって築かれたと云われる。伊達氏の家臣であった砂金氏が前川本城から川崎城を築いて移ってきた。
一国一城令のなか、川崎要害として存続し砂金氏が住んでいたが、元禄15年(1702年)砂金重常が嗣子なく没して砂金氏は断絶、その後は一時宮床の伊達氏が居たが、伊達村詮が川崎要害を与えられ、川崎伊達氏となり以後代々続いて明治に至る。
川崎城は川崎小学校のある西へ伸びた台地の西端に築かれていた。
東西二郭で西が本丸、東が二の丸といい、本丸部分は城山公園、二の丸部分は川崎小学校となっている。現状本丸は公園化されすぎていて遺構らしきものが見あたらない。
東の二の丸は小学校の東側が畑地になっており、この部分に土塁が残されている。土塁の東側の道路が空堀である。また小学校の入口の北側にも土塁などの遺構が確認できる。