築城年代は定かではない。嘉吉年間(1441年〜1444年)に合戦に敗れた小山九郎業朝が下野国小山から一族を率いて村田に住み、村田氏を称したのが始まりとされる。
村田氏はその後、伊達氏の家臣となって代々続いたが、村田近重に子がなかったことから、伊達稙宗の九男宗稙を養子に迎え、宗稙は村田万好斎と名乗った。天正19年(1591年)伊達政宗が岩出山に転封となると村田氏は桃生郡長井へ転封となった。
慶長8年(1603年)石川昭光に隠居所として村田館が与えられ、慶長15年(1610年)まで居所とする。元和4年(1618年)伊達政宗の七男伊達宗高が三万石で村田館に配されたが、寛永3年(1626年)に二十歳で早世する。その後は奥山大学、田村右京、大松沢和泉実泰、芝多常春と替わり、芝多氏が代々続くが、明治維新前に加美郡谷地森村の片平氏と領地交換している。
村田館は村田icの南東、村田町役場の西にある丘陵に築かれており、現在は城山公園として整備されている。
本丸は山頂にあって西に土塁があり、その背後に大きな空堀がある。北西の乾八幡神社側の尾根にも空堀があったようだが、この辺りは遊歩道になっている。麓の小学校のある所も曲輪で、江戸時代はこの部分に住んでいた。
城門(移築 城門)
道の駅「村田」に駐車可能でそこから遊歩道が付いている。
近くの願勝寺に城門が移築現存している。
最寄り駅(直線距離)