天文14年(1545年)支倉常正によって築かれたと云われる。
慶長遣欧使節団を率いてヨーロッパまで渡航した支倉常長は、支倉時正の養子となってこの城で育ったという。
上楯城は支倉常長の墓所のある圓福寺背後の丘陵に築かれており、現在は公園として整備されている。
比高70mほどの丘陵に築かれた山城で、最高所に広い本丸、西に二の丸、南に三の丸がある。本丸は広く西に土塁が付いて横堀がほぼ全周し、東は特に二重の横堀となっている。この二重の横堀の間に出る虎口があり、二段のコの字の土塁が付いている。西の二の丸は同じく横堀が巡り一部に土塁が付いている。南の三の丸は後世の改変かやや荒れているものの東側面などには横堀があり、南は堀切によって遮断している。
支倉常長の菩提所である圓福寺の境内から墓所を経て本丸に続く道がある。車の場合は山の北側から登ってくる道があり、二の丸近くの駐車場まで行くことができる。