天文17年(1548年)松平守家によって築かれたと云われる。 松平守家は松平信光の長男で竹谷に居して竹谷松平氏の祖となった。
竹谷松平氏は守家の後、守親・親善・清善・清宗・家清と続く。 四代清善のときには今川氏に属していたが、桶狭間合戦の後に家康に仕えた。 天正18年(1590年)徳川家康の関東移封に従い、六代家清は武蔵国児玉郡に一万石を領して武蔵国八幡山へ移った。慶長5年(1600年)関ヶ原合戦後、松平家清は三河国吉田にて三万石を領して大名となった。
竹谷城は尺地神社の北西にある丘陵に築かれている。 比高10m程の丘陵で周囲は宅地となり、山上は畑地になっているが、主郭には市指定史跡として竹谷城の石碑が建てられている。
主郭は南北に長い長方形で北端に土塁の残欠が虎口の両側にあり、虎口は外側で左へ折れてスロープになっている。未確認だが、南に堀跡が残るという。
県道323号線沿いにある尺地神社の西側の道を北上すると三差路になる。ここの民家の間の細い通路か主郭へ通じており、わかりづらいが山際に竹ノ谷城への道標が出ている。(地図)
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