文明元年(1469年)萩原芳信によって築かれたと云われる。
萩原芳信は三河守護細川氏の被官で、翌文明2年(1470年)に前守護一色氏の軍勢に攻められ落城して討死したという。
丹野城は標高364mの御堂山に築かれており、現在は登山道が整備されている。
三角点のある東端山頂部が主郭で石碑と案内板が設置されている。西へ続く尾根を堀切で遮断しただけの小さな城で、主郭となる山頂部の削平は甘く東西に細長く伸び、南側に狭い帯曲輪を二段設けている。
北側面の削平地IIは堀切の下方から伸びた帯曲輪で、東端部分に削り残しがあり横堀状となる。城の曲輪としてはやや違和感がある。
さがらの森駐車場が利用できる。その近くにある案内板のところから整備された登山道が山頂まで続く。
最寄り駅(直線距離)