三河 岩略寺城みかわ がんりゃくじじょう

城郭放浪記


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三河 岩略寺城の写真
掲載写真数
形態
山城(168m/100m)
別 名
長沢山城
文化財指定
市指定史跡
遺 構
土塁,郭,堀,井戸
城 主
長沢氏,長沢松平氏,今川氏,松平氏
歴 史

築城年代は定かではない。 文安年間(1444年〜1449年)頃に今川氏の一族関口刑部少輔満興によって築かれ、その弟が長沢直幸と名乗り長沢城にいた。 長禄2年(1458年)松平信光が長沢の城を攻めとり、長男親則に長沢を与えて長沢松平氏の祖となった。しかし、これらの長沢城がこの岩略寺城・長沢古城・登屋ヶ根城のいずれを示すのか、はっきりしたことはわかっていないようである。

その後、今川氏の勢力が三河に及ぶと天文16年(1547年)には牧野田三郎が長沢への兵の配置を命ぜられ、天文20年(1551年)には匂坂六兵衛門長能が長沢城への在城と普請を命ぜられるなど、西三河との境目として重要視された。

桶狭間合戦の後、糟谷善兵衛・小原藤五郎鎮宗を置いて家康の侵攻に備えたが、永禄4年(1561年)に家康によって攻略され、家康は深溝松平伊忠を長沢城に置いて今川氏に備えた。

説 明

岩略寺城は長沢小学校の南に聳える標高169mの城山山頂に築かれており、東海道を押さえる要衝に位置する。

主郭は山頂にあって方形で土塁が巡る。北側は土塁の外側に帯曲輪程度の平地があり、そこが二の曲輪とされている。主郭の北西下には三日月堀と記された空堀があり、切岸の裾野を巡る空堀になっている。

北へ伸びる尾根に食い違い虎口があり、北側の曲輪は通路に面して土塁を備える。 主郭から北東、東へ伸びる尾根に高い切岸の曲輪が連なる。城内には井戸跡とされる深い穴が五か所ほど残る。

案 内

長沢小学校の南西側にある山が城山で、名電長沢駅近くの国道1号線長沢交差点から南の集落側に入り、道なりに進むと城山への林道入口の道標が出ている。林道の終点に駐車場があり、石碑と案内板が設置されている。案内板は縄張図のみで説明がなく珍しい。

最寄り駅(直線距離)
0.7km 名電長沢駅
2.3km 名電赤坂駅
3.8km 御油駅
3.9km 本宿駅
4.8km 国府駅
所在地/地図
愛知県豊川市長沢町字御城山
付近の城(直線距離)
0.4km 三河 観音堂城
0.4km 三河 長沢御殿
0.5km 三河 長沢城
0.6km 三河 矢田姫屋敷
1.0km 三河 巨勢陣屋
1.3km 三河 登屋ヶ根城
2.0km 三河 赤坂陣屋
3.3km 三河 御油城
3.7km 三河 丹野城
4.4km 三河 城の腰城
4.5km 三河 大沢城
4.6km 三河 国府陣屋A
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4.9km 三河 五井城
5.1km 三河 国府陣屋B
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5.8km 三河 赤根陣屋
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6.2km 三河 上ノ郷城
6.2km 三河 野口城
6.3km 三河 森城
6.3km 三河 山中城
最終訪問日
2012年3月
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