築城年代は定かではない。初期の築城に関しては西郷氏または岡崎松平氏と考えられている。
天文17年(1548年)には今川氏の拠点として改修され、その後、のちの徳川家康の城としてさらに改修されたと考えられている。
山中城は標高196mの山に築かれており、現在は遊歩道が整備されている。規模の大きな山城で竪堀の使い方がうまく、見どころの多い城である。
主郭部は東西二段で東がやや高くIとなり、西は低く土塁が巡ってIIとなる。 北中央の虎口1と南の虎口2はともに主郭北東下の虎口3に通じている。
曲輪IVは馬出となり、ここから東尾根の曲輪V、VI方面と北尾根の曲輪IXに分岐する。
東尾根側は尾根道を狭めるために竪堀11、12を用いている。曲輪VIとVIIの間には二条の浅い溝があるが堀かどうかははっきりしない。曲輪VIIは南側にハの字に竪堀が二条残っており、堀切が埋もれているような印象を受ける。
主郭の西側は帯曲輪が段々と連なる構造で、下方には弓なり状の堀切2、尾根鞍部を遮断する堀切1がある。
南の県道沿いにある羽栗病院の近くに無料の駐車場がある。登山道はそこから歩いて川を越えると見えてくる。東から上って西へ下るなどルートはいくつかあるようだ。
最寄り駅(直線距離)