三河 高力城みかわ こうりきじょう
△トップに戻る
築城年代は定かではないが高力氏によって築かれたと云われる。高力氏は武蔵国熊谷郷発祥の熊谷氏の後裔を称しているが出自ははっきりしない。
高力清長は徳川家康に仕えて活躍し、関東移封にともない武蔵国岩槻二万石の大名となる。子孫は島原藩主にもなったが、失政によって没落し、以降旗本となった。
高力城は字熊谷一帯に築かれていたと考えられているが所在ははっきりしない。現在南端の熊谷橋の西側、川沿いの場所に石碑がたっている。