三河 生田城みかわ しょうだじょう
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詳細不明。 石碑には「明和年間生田四郎重勝が徳川家康公の姫御前が豊前国中津藩に御輿入れになった際に付添武士として栄任され時の庄屋本間幾右衛門重勝にそ其の後始末を一任され廃城となった」と刻まれている。
これに関連するのは奥平信昌で姫御前とは亀姫と思われるが、 明和年間は1764年〜1772年亀姫は寛永2(1625年)に美濃国加納にて没しているので時代が合わない。
生田屋敷という地名が残っており、水田のなかに石碑が建っている。かつては土塁が残っていたようであるが圃場整備によって消滅した。