築城年代は定かではない。 室町時代初期に関口刑部によって築かれたとも云われるが定かではない。 関口氏は今川氏一族で三河国宝飯郡関口発祥である。
桶狭間合戦の後、今川氏は家臣の糟谷善兵衛・小原藤五郎鎮宗を置いて松平家康に備えた。 永禄4年(1561年)家康は松平信一に登屋ヶ根城を攻めさせ、城将の糟谷氏と小原氏は討死したという。
登屋ヶ根城は西へ伸びた丘陵の先端に築かれている。 比高15m程の台地の先端を空堀で区画して城域とした城で、先端の主郭部はホテルが建設されており、東側は畑となっている。この畑の所に幅数メートルの空堀が南に残り、食い違いになって土橋が残る。
国道1号線関屋交差点から南へ入り、県道とは反対の南西側へ進むと北側の入口に標柱が建っている。
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