永正年間(1504年〜1521年)に鵜殿又三郎長存によって築かれたと云われる。 鵜殿氏は鵜殿長善の子のとき長将が上ノ郷城、長存が下ノ郷城に分かれた。
鵜殿氏は当初今川氏に属していたが、桶狭間合戦の後、下郷鵜殿氏は家康に従った。 しかし、惣領家の上郷鵜殿氏は鵜殿長照の生母が今川義元の妹であったことなどから、今川氏に従ったままで、後に家康に攻め落とされた。
天正18年(1590年)徳川家康の関東移封に従い、下郷鵜殿長龍も下総国相馬へ移り廃城となった。
慶長17年(1612年)(竹谷)松平清昌が三河国宝飯郡内で五千石を領したとき、蒲形城の南東側に蒲形陣屋を築いている。
蒲形城は蒲郡高校の南西付近に築かれていたという。 蒲形陣屋が築かれた後も土塁や堀が残っていたようで、明治期の地籍図からも、方形居館を楕円形の堀が巡るような地形を確認することができる。