築城年代は定かではない。平安時代末期に新羅三郎義光の孫、清光の弟である方原下司次郎師光が本城を築いたのが始まりとされる。
その後、松平信光の四男與副(ともすけ)が宝飯郡形原に居して形原松平氏の祖となった。形原松平氏は與副の後、貞福・親忠・家広・家忠・康信と続く。四代家広のときには今川氏に属していたが、桶狭間合戦の後に家康に仕えた。
天正18年(1590年)徳川家康の関東移封に従い、六代松平家信は上総国五井に五千石を領して移った。慶長5年(1600年)関ヶ原合戦の後、旧領の形原へ移され、元和4年(1618年)には五千石の加増をうけて諸候に列した。さらに翌年には摂津国高槻へ二万石で加増転封となった。
形原城は三河湾に張り出した丘陵の頂部に築かれていた。 現在残っているのは主郭部のみで、古城稲荷社が鎮座している。 周囲には「北古城」・「南古城」・「東古城」などの地名があり城域は広かったものと推測されている。
形原漁港の南、県道321号線から道なりに南下した所に道標が出ている。
最寄り駅(直線距離)