築城年代は定かではないが天正3年(1575年)奥平信昌によって築かれたと云われる。 それ以前に菅沼定継によって築かれた説もあるが定かではない。
信昌は長篠合戦後に新城城を築き長篠城より移って居城としたが、徳川家康の関東移封によって信昌も上野国宮崎に移った。
その後は吉田城の池田輝政の所領となっていたが、輝政が播磨国姫路へ移封となると、天領を経て慶長11年(1606年)水野分長が一万石で入封、子元綱の時に、上野国安中へ移封となった。
慶安元年(1648年)丹波国亀山藩主菅沼定昭の弟定実が七千石を領して入封、定昭は交代寄合の旗本で陣屋を築き、以後明治に至る。
現在は新城小学校の校庭の南側に僅かに土塁と空堀が残るのみである。