築城年代は定かではないが熊谷氏によって築かれたと云われる。 熊谷氏は熊谷直実の後裔で、熊谷兵庫頭重実の頃に宇利城を築いたと考えられている。
享禄3年(1530年)熊谷実長のときに松平清康によって攻められ落城し熊谷氏は離散した。この後、宇利城は清康から菅沼定則に与えられ、さらに近藤康用が城主となった。
近藤氏は後に柿本城へ移り、その後の宇利城の動向は定かではない。
宇利城は標高163mの山に築かれており、現在は県指定史跡となって登山道が整備されている。
主郭は山頂にあり、中央の通路を挟んで東西二つの曲輪があり、西を本丸、東を姫御殿と呼んでいる。どちらも中央の通路に面して土塁があり、平入りの虎口を開く。本丸側は北から西に掛けても土塁が巡っている。
本丸の北下には横堀状に堀があり、その奥に「納所平」と呼ばれる曲輪があり、北側に大きな堀切を設けて遮断している。
東尾根には「御馬屋平」と呼ばれる曲輪があり、その東下に横堀が付いている。
南に伸びた東西二つの尾根にも曲輪群があるが、東側の尾根は「松平右京亮」の墓がある段より下はほぼ自然地形である。一方西側の尾根は段曲輪が続いており、一部石積が確認できる。ただこちらも尾根には堀切がなく、そのまま自然地形となってしまう。
県道沿いに駐車場が用意されている。ここから道標に従って進むと登山道があり主郭に至る。
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