築城年代は定かではないが天正18年(1590年)から天正20年(1592年)頃に片桐一長によって築かれたと云われる。
片桐一長は吉田城主池田輝政の家老で新城城主であったが、天正末期に石田城を築いた。 一長には嫡子がいなかったことから石田輝政の子長政を養子に迎えていた。『愛知県中世城館跡調査報告』によれば、新城城と石田城が同時期に機能していたのは隠居城あるいは嗣子の居城としていたのではないかと推測している。
石田城は豊川と野田川の合流する段丘端に築かれている。
現状単郭の城で北から東にかけて大規模な土塁と横掘を巡らせている。現在の入口は北からであるが、本来は東に虎口が付いていたようである。