甲斐 甲府城かい こうふじょう

城郭放浪記


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甲斐 甲府城の写真
掲載写真数
形態
平山城(270m/20m)
別 名
一条小山城,舞鶴城,甲斐府中城
文化財指定
国指定史跡
遺 構
石垣,郭,堀,井戸
城 主
武田氏,平岩親吉,羽柴秀勝,加藤光泰,浅野長政・幸長,徳川義直,徳川忠長,徳川綱重,徳川綱豊,柳沢吉保,柳沢吉里,甲府勤番
歴 史

築城年代は定かではない。武田氏時代に一条小山城があったと云われているが、現在の甲府城が築かれたのは武田氏が滅亡した後である。

武田氏が滅亡したあと、織田信長の武将川尻秀隆が入部したが、本能寺の変が起こると蜂起した甲斐国人一揆によって討たれてしまう。これにより空白となった武田氏の旧領を巡り徳川氏と北条氏が争った。この天正壬午の乱は徳川家康の優勢で決着し、甲斐には家康の家臣平岩親吉が入る。天正18年(1590年)徳川家康は関東へ移封され、甲斐には羽柴小吉秀勝が入ったが、翌19年には美濃国岐阜へ転封となり、代わって加藤光泰が入部する。この加藤光泰の時代に甲府城の築城が始まったと考えられている。

加藤光泰が文禄の役で没すると、文禄3年(1594年)嫡男貞泰は幼小を理由に美濃国黒野へ転封となり、浅野長政・幸長父子が入部した。慶長5年(1600年)関ヶ原合戦の功により浅野氏は紀伊国和歌山へ転封、以降は徳川義直、徳川忠長、徳川綱重・綱豊など一族が城主を歴代する。宝永元年(1704年)柳沢吉保が甲府藩主となり、柳沢吉里と続いたが、享保9年(1724年)大和国郡山へ転封となった後は大名が置かれず、幕府直轄領として甲府勤番が置かれた。

説 明

甲府城は甲府駅の南にある比高20m程の山に築かれており、現在は舞鶴公園として整備されている。

本丸東端には巨大な天守台があり、その外側を二の丸や稲荷曲輪、鍛冶曲輪などが取り巻いている。かつては山梨県庁や甲府駅なども含めて城域であったが、現在は中心部のみが現存する。

明治以降荒廃していた甲府城も近年着々と整備がなされ、本丸南には鉄門、稲荷曲輪に稲荷櫓、内松陰門といったものが復元されている。また線路を挟んだ北側に山手渡櫓門と山手門が復元され枡形になっている。

山梨県庁の防災新館地下駐車場には出土した石垣が移設展示されている。

内松陰門の写真

内松陰門(復元 城門)


所在地: 城内
平成11年復元
鉄門の写真

鉄門(復元 櫓門)


所在地: 城内
平成25年復元
稲荷櫓の写真

稲荷櫓(復元 櫓)


所在地: 城内
平成16年復元
山手渡櫓門の写真

山手渡櫓門(復元 櫓門)


所在地: 城内
平成19年復元
山手御門の写真

山手御門(復元 城門)


所在地: 城内
平成19年復元
稲荷曲輪門の写真

稲荷曲輪門(復元 城門)


所在地: 城内
平成11年復元
案 内

甲府駅のすぐ南、一般車両の駐車場はなく駅周辺の有料駐車場を利用する。

最寄り駅(直線距離)
0.3km 甲府駅
0.7km 金手駅
1.7km 善光寺駅
2.5km 南甲府駅
2.6km 酒折駅
所在地/地図
山梨県甲府市丸の内1(舞鶴城公園)
付近の城(直線距離)
0.4km 甲斐 長禅寺前陣屋
1.0km 甲斐 上飯田陣屋
2.4km 甲斐 躑躅ヶ崎館
2.7km 甲斐 湯村山城
2.8km 甲斐 落合氏屋敷(国玉町)
4.1km 甲斐 義清館(昭和町)
4.4km 甲斐 小瀬氏屋敷
4.9km 甲斐 要害山城
4.9km 甲斐 熊城
5.1km 甲斐 飯富氏屋敷
5.3km 甲斐 川田館
5.4km 甲斐 今井氏屋敷(甲府市)
5.9km 甲斐 武田信重館
6.3km 甲斐 石和陣屋
6.4km 甲斐 上河東屋敷
6.4km 甲斐 八田家御朱印屋敷
6.6km 甲斐 玄賀屋敷
7.2km 甲斐 御前山の烽火台
7.3km 甲斐 勝山城(甲府市)
7.6km 甲斐 金丸氏館
7.7km 甲斐 下河東屋敷
7.8km 甲斐 信虎誕生屋敷
7.8km 甲斐 清水陣屋(笛吹市)
8.0km 甲斐 武田信成館
最終訪問日
2020年9月
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