大治5年(1130年)源義清は常陸国武田郷から甲斐国巨摩郡市河荘に配流となり、甲斐武田氏の祖となった。
甲斐へ入部した義清が住んだと伝承される場所は、市川大門の義清館と昭和町にある義清館があり、一般的には市川大門に入り、後に昭和町へ移ったと考えられている。
義清神社神社一帯が義清館と考えられている。義清神社は義清没後に社殿を造営して義清大明神として祀ったのが始まりとされ、近くには源義清の墓とされる義清塚がある。
一部は発掘調査によって義清と同時代の遺物なども確認されたようで、考古学的な面からも義清館の可能性が高い。