築城年代は定かではないが大山義道によって築かれた。 大山城主大山義道が孫根城を築き、その後長男義兼が住んで孫根氏の祖となり、大山氏は次男義定が家督を継いだ。
延徳2年(1490年)山入一揆に際して太田城を逃れた佐竹義舜は母方の大山氏を頼り、義舜は孫根城に匿われた。 明応9年(1500年)山入氏の軍勢は孫根城に攻め寄せたが、孫根氏は義舜を先導して金砂山城へと無事に脱出させた。
孫根城は岩船川の南に台地の先端に築かれている。 「御城」と呼ばれる地があり、ここが主郭であったという。現在は個人宅となっており直接遺構の確認はできなかったが、土塁と堀が比較的良好に残っているという。