永和元年・天授元年(1375年)古徳民部大輔義純によって築かれた。 義純は大掾氏七代大掾義幹の次男で、古徳庄を領して古徳氏を称した。
古徳氏ははじめ大掾氏に従っていたが、応永33年(1426年)江戸通房によって大掾満幹の馬場城が奪われると古徳氏は江戸氏に従った。
永正11年(1514年)江戸氏の内乱によって古徳城は江戸氏に攻められ落城、古徳氏は滅亡したという。
古徳城は越冬する白鳥が飛来する古徳溜池の北西にある尾根の先端頂部に築かれている。
古徳城は勢揃山から東へやや降った辺りから東端まで曲輪が連なっている。 主郭部は北を除く三方に土塁を設けた曲輪があり、空堀に土橋が架かって東側に二郭がある。二郭は東端に土塁が設けられ同じく空堀に土橋が架かり東の曲輪に連なる。
この城は南側斜面に階段状に横堀と帯曲輪を設けているのが特徴で、主郭背後の空堀はそのまま竪堀となって斜めに麓付近まで落ち、帯曲輪に結合する。北側の斜面にも一条の横堀が巡らされている。
白鳥観察用の駐車場が近くにあり、溜め池近くの尾根先から山道が付いている。
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