康安2年・正平17年(1362年)石塚宗義によって築かれたと云われる。 石塚氏は佐竹氏九代佐竹義篤の子宗義が那珂西郡石塚郷、久慈郡西遠野村などを譲られ石塚氏を称した事に始まり、下圷館より移ったという。
文禄4年(1595年)佐竹義宣によって石塚氏は片野城に移され、石塚城には東義久・義賢父子が入城した。
石塚城は那珂川に面した低地を北に見下ろす、石塚集落ある台地の北端に築かれている。
国道123号線茂木街道は現在も石塚城内を通っている。東側の集落内に堀底道があり、それが旧茂木街道であったという。この東上が主郭で低土塁が残る。周囲は宅地などとなっているが、随所に堀跡らしき窪地が残っている。
国道123号線は石塚の北側で大きくカーブして台地の下に降りるが、ちょうど降り口の東側に石塚城の標柱が建っている。
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