築城年代は定かではないが佐竹氏の家臣平沢丹後守通行によって築かれたと伝えられる。平沢氏は那珂氏の一族で通行の子は平沢美濃守で佐竹義篤に従っている。
その後、佐竹氏の一族で小場義忠の弟義広が前小屋の地を領して前小屋氏を称し、義次、義久、義親と四代続いた。
前小屋城は久慈川による段丘を利用した城で種生院(泉正観音)一帯に築かれている。
種生院の所が主郭でその周囲には高土塁や空堀が良く残されている。周囲は宅地や田畑になっているが、土塁の残存状況から少なくとも五つの曲輪があったようである。観音から五器井戸にむかって遊歩道が整備されており、これを歩くだけで空堀や高土塁など比較的簡単に見学することができる。